『質屋の世界』(ケネス・ハドソン)

質屋の世界』(ケネス・ハドソン著、北川信也訳、リブロポート、1985年)を読みました。

イギリスの質屋業(pawnbroker)の歴史を近世から第二次世界大戦後まで概観した1冊です。

中世から近世にかけてイギリスで発達していった質屋は教会からの蔑視や悪徳商人という世評から法によって何度も営業規制をかけられる商売でした。その一方で貧しい庶民にとっては生活のためになくてはならない存在として発達していき、19世紀初頭には全土で1500軒以上の質屋が営まれていました。質屋業界も社会的イメージ向上と業界の防衛のために業界団体を結成し、内部規範を作って統制しようとします。このあたりは同じ時期のいろいろな職業の地位向上と共通する行動に思われます。(実は一般的にそこまで儲かる商売ではなかったものの)巨富を得た一部の質屋は市長を務めるなど地域社会のリーダー的存在としてその地位を築き上げていきました。ところが、質屋がより「リスペクタブル」な職業になろうと腐心するのに対し、肝心の顧客のほうはどれほど貧しくても質屋通いを強く恥じてこっそり質に入れにいくのが20世紀まで変わりませんでした。必要不可欠な存在でありながら、関わりを消したいというある種複雑な関係が見て取れます。戦後になると福祉国家化の中でライフスタイルの変化から、戦前期からの衰退に拍車がかかり、質屋は減少の一途をたどります。残った一部の質屋も宝飾店を兼ねるなど業態の変化を迫られているところで終わります。著者は今後の生き残りを予想していますが30年たった今は果たしてどうなっているでしょうか。

本書は質屋の栄枯盛衰を描きつつ、質屋を巡る詐欺のエピソードや変わった質入れの話、質屋に勤めた人々の回顧談を織り交ぜていて読み物としても面白いです。ところで19世紀から20世紀のイギリスの人々が必ずしもお金の必要から質屋を使っただけではなく、質屋の保管機能を利用していたようです。お金持ちは旅行前には保険をかけるより安いという理由で貴重品を質に入れて金庫代わりに使っていました。(そして質草には質屋は保険をかけていました)戦争に出征していく兵士も持ち物を質に入れています。やや奇妙なエピソードとして語られていますが、駅の荷物預けが満杯のときに荷物を質に入れる男もいました。極貧の中で掛け売りと質を駆使してお金を得ようとする人々がいた反面、このような使い方をしている人々も存在していたのは興味深いです。

余談ですが、本書は「社会科学の冒険」と銘打ったシリーズの第1冊目です。巻末のリストを見るとベネディクト・アンダーソン『イメージの共同体』という題名の刊行予定が。今日定着している『想像の共同体』という題名も当初はこんなのだったんですね。

 

Vanished Kingdoms (Norman Davies)

ポーランド史家ノーマン・デイヴィスのVanished Kingdoms: The History of Half-Forgotten Europe を読みました。書店でたまたま手に取った本ですが、面白く読めました。

ヨーロッパ古今の「消滅した国」を1章ずつ取り上げ、その歴史を綴っています。登場するのは

著者の専門のポーランド周辺がやや多い以外は、時代も国もバラバラ。割いているページ数も取り上げ方もバラバラ(リトアニアの章は80ページもありますが、カルパト・ウクライナについては15ページしか書いていません)。ソ連やカルパト・ウクライナが入っているあたり君主国以外もありと著者の好みで取り上げたんではと疑問に思うほど、かなりごった煮の印象は否めません。しかし豊富な地図と豊かなエピソードや描写が読ませるため、本編700ページ以上になりますが飽きずに読めてしまいます。

「ごった煮」と述べましたが、 各章に伏流する隠れたテーマがあります。それは「消滅した国の歴史/記憶を誰が継承するのか」という問題です。ブルグンド/ブルゴーニュの章が特に示唆的で古のブルグンド王国の歴史/記憶を受け継ぐために後に続く国々が次々と同じ名を名乗っていく様が活写されています。また名は同じでも実態が全く異なるときにどのように現代の国が過去にあった国を歴史として受け継いでいくのか、プロイセンのように住民の入れ替えがあった国はどうなのか、各章を読むと思いが巡ります。歴史認識を巡る問題が世界各地でくすぶる中で本書はタイムリーな話題を扱っているようにも見えてきます。

『エドガルド・モルターラ誘拐事件』(デヴィッド・I・カーツァー)

デヴィッド・I・カーツァー『エドガルド・モルターラ誘拐事件』(漆原敦子訳、早川書房、2018年)を読みました。

映画化するんですね...

1858年、教皇領だったボローニャで6歳のユダヤ人少年エドガルド・モルターラが当局によって突然連れ去られます。理由は家族の知らないところで洗礼を受けていたから。洗礼を受けてキリスト教徒になると、ユダヤ人家庭のもとでは暮らせない定めでした。悲しむ家族や知人たちはローマを始め各地のユダヤ人社会と連携してエドガルドを取り戻そうと試みます。折しもリソルジメントを進めようとしていた自由主義者たちが注目、旧体制=教会への批判として事件を取り上げ、大西洋の両岸を巻き込んで国際的なうねりとなっていきます。本書はその一部始終を描いたノンフィクションです。

「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、まさに実話でありながら小説を読むように面白い本です。家族の嘆きや周囲の行動を微細な点まで描けているのは史料がよく残っている証でもあり、それだけ注目度の高い事件であったといえるでしょう。また自由主義者による批判攻勢とそれに対抗するカトリック側ジャーナリズムの反宣伝からは現在では想像もつかない当時の対立の激しさが見て取れます。

しかし決してハッピーエンドで終わらないのも読後感を複雑なものにしています。事件を利用した自由主義陣営はイタリア統一を最終的に成し遂げますが、当事者の家族にとっては幸せな結末にはなりませんでした。そのことは終盤で(やや本筋とは無関係に)出てくる家族が後年巻き込まれたある事件からもうかがえます。ある運動の中で本人・家族・支援者各々のずれが大きくなり、当事者にとっては必ずしも良い結果に終わらない例は今日でも見受けられるように思います。

ところで著者はこの事件がリソルジメントの進展に寄与したことを強調していますが、以前にも同様の例がいくつもありながらこの事件の扱いが大きくなったことを考えると、逆にリソルジメントへの機運が高揚していた時代背景が事件解決に寄与したとも考えられ、せいぜい相互的な影響があったとみるのが妥当な感じがします。 

今年読んだ本

 

今年(2018年)は再読を除いて170冊くらい読んだようです。読んだ中から印象に残った10冊をまずご紹介。

  •  『探偵小説の黄金時代』(マーティン・エドワーズ著、森英俊白須清美訳、国書刊行会、2018年)今年最大の収穫。黄金時代の作家たちの人間模様が実に生き生きと描かれています。長年の疑問がいくつか解消されました。

 

  • 『塗りつぶされた町』(サラ・ワイズ著、栗原泉訳、紀伊国屋書店、2018年)ロンドンのとあるスラム街の盛衰を時代状況を絡めて活写しています。ページをめくる手が止まらないとはこの本のこと。アーサー・モリスンがわりと大きく取り上げられていたのが個人的には驚きでした。

 

  • 『姦通裁判』(秋山晋吾著、星海社、2018年)近世トランシルヴァニアの片田舎で起きた(どちらかといえばどってことない)不倫事件を題材にした社会史のお手本みたいな本です。内容も充実しているうえ、大変読みやすく一般書として素晴らしい企画だと思いました。

 

 

  • 『記憶術全史』(桑木野幸司著、講談社、2018年)年末の大作。「こんな方法で覚えられるのか?」というかすかな疑問と記憶術によって広がる世界の圧倒的な面白さがないまぜになって一気に読んでしまいました。

 

  • 錬金術の秘密』(ローレンス・M・プリンチーペ著、ヒロ・ヒライ訳、勁草書房、2018年)現代ではちょっと怪しい雰囲気のある錬金術を歴史的に考察した研究書です。ややとっつきにくいところもありますが、術そのものよりむしろ思想的な背景が興味深かったです。

 

  • 『スペイン美術史入門』(大高保二郎監修・著、NHK出版、2018年)今夏スペインに旅のお供に持っていき、実に楽しく旅行できました。絵画だけでなく建築も大きく取り上げられていて思い出深い一冊です。

 

 

  • 『失われた宗教を生きる人々』(ジェラード・ラッセル著、臼井美子訳、亜紀書房、2016年)中東地域に残るマイノリティ宗教を信仰する人々を扱ったノンフィクション。記述に疑問がないではないのですが、著者の筆力と好奇心旺盛なバイタリティがそれを補っています。
  • 『人形の家を出た女たち』(アンジェラ・ホールズワース著、石山鈴子・加地永都子訳、新宿書房、1992年)

   人形の家を出た女たち

 

20世紀イギリスの女性の生きざまを描いた作品。もとはBBCのドキュメンタリーだったもので構成・文章とも大変読みやすく面白い作品です。

 

10冊中8冊が今年の刊行でした。他には『ライシテから読む現代フランス』(伊達聖伸著、岩波書店、2018年)『物語アラビアの歴史』(蔀勇造著、中央公論新社、2018年)、『アファーマティブ・アクションの帝国』(テリー・マーチン著、明石書店、2011年)あたりが次点でしょうか。今読んでいる途中の『オスマン帝国』(小笠原弘幸著、中央公論新社、2018年)もかなり良いです。番外は改訂新版の出た『新書アフリカ史』。

小説は数が少なかったのですが、『チェコSF短編小説集』(ヤロスラフ・J・オルシャ・jr編、平凡社、2018年)が出色でした。編者は駐フィリピン大使で出版までのエピソードも面白かったです。

 

おまけ

  • 掘り出しもの

   ウィリアム・モリス伝』(フィリップ・ヘンダーソン著、川端康雄・志田均・ 永江敦訳、晶文社、1990年)

    ウィリアム・モリス伝 | 晶文社

   古本で見つけた掘り出し物です。

 

来年も素晴らしい出会いがあることを願いつつ年を越したいと思います。よいお年を。

『探偵小説の黄金時代』(マーティン・エドワーズ)

『探偵小説の黄金時代』(マーティン・エドワーズ著、森英俊白須清美訳、国書刊行会、2018年)を読みました。20世紀戦間期のイギリスではアガサ・クリスティーやドロシー・L・セイヤーズなど多くの有名作家が現れ、後世に残るミステリーの名作・傑作が数多く出版されました。彼らは果たしてどんな人物だったのか、お互いの関係はどうであったのか、1930年に結成されたディテクション・クラブを軸に資料を駆使して活写した一作です。

クリスティーセイヤーズアントニー・バークリーの3人の記述が多いですが、コール夫妻やオースティン・フリーマンなどの有名作家から、よく名前は見るけど何者か不明だったロバート・ユースティス、実はアカデミー賞とっているクレメンス・デーンなど多彩な顔ぶれが並び、マニアとして心が躍ります。(クロフツに点が辛いのはファンとして残念ですが)クリスティーの失踪事件、セイヤーズの隠し子、バークリーの退位反対キャンペーンといったゴシップ的な内容も多く(若干引きますが)興味津々です。そしてしばしば現実感の無さが指摘される戦間期イギリス・ミステリも時代の影響を強く受けていたことが本書で示唆されています。

これまでディテクション・クラブについてまとまった記述のある本といえば『ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男』くらい(本書でも参照されています)でした。本書はミステリー史を埋める重要文献であると同時に、ブルームズベリー・グループモダニズムといった「正統的」なイギリス文学史と並行したもう一つの出版・文学史とも言えるでしょう。(2つを架橋するような人物も本書には登場します)著者のエドワーズは実作者でありディテクション・クラブの会長ですが文学研究の立場からの研究の発展も期待したいところです。

記述上の疑問として、二次文献や推測に頼る部分がいささか多い点があります。ただ資料の欠落等でいたしかたない部分もあるでしょう。もう一つはディテクション・クラブ会員たちのファシズムへの向き合い方について、25章を中心に多くが反対していたと記していますが、作中で茶化していることをもって反対していたとまで言えるかは疑問です。すぐ後に出てくる「正当な殺人」という考え方が作家の間に広まっていたことと矛盾があるような気がするのはハワード・ヘイクラフト『娯楽としての殺人』の読みすぎでしょうか。

本書を読むうえで出版社の視点からは『ゴランツ書店』(シーラ・ホッジズ著、奥山康治・三澤佳子訳、晶文社、1985年)と『ペンギン・ブックス』(J・E・モーパーゴ著、行方昭夫訳、中央公論社、1989年)が副読本でしょう。同時代のイギリス文学・文化については『愛と戦いのイギリス文化史1900-1950年』(武藤浩史ほか編、慶応義塾大学出版会、2007年)や『帝国の文化とリベラル・イングランド』(大田信良著、慶應義塾大学出版会、2010年)などが参考になります。また歴史書は数多いですが『イギリス現代史 1900-2000』(ピーター・クラーク著、名古屋大学出版会、2004年)が詳しいです。

 

The Diary of a Nobody(George and Weedon Grossmith)

前エントリで少し触れたのでジョージ&ウィードン・グロスミスのThe Diary of a Nobodyを取り上げます。

The Diary of a Nobodyは1888年にパンチ誌で連載され1892年に出版されたユーモア小説です。しがない事務員のチャールズ・プーター氏が郊外にちょっとしたマイホームを手に入れ、妻と移り住んでからの生活をプーター氏自身の日記として綴っています。もったいぶった感じの生活を気取るプーター氏ですが、ロンドン市長の舞踏会に呼ばれて欣喜雀躍するも大した理由でなかったり、若手の遅刻を注意した翌日に自分が遅刻してバカにされたりと失敗ばかり。後半は息子のルーピンが引き起こす騒動に振り回されます。周囲からのややもすると少々バカにされた扱いとそれに気づかず(気づかないふりをする?)もったいぶった態度をとるプーター夫妻のミスマッチが日記から伝わってきて、おかしみを感じてしまいます。(例えば何か自分の理解を超えたことが出てくると"It was simply Greek to me"を繰り返すのが口癖です)

本書には『無名なるイギリス人の日記』という邦訳があります。また、『階級に取りつかれた人びと』(新井潤美著、中央公論新社、2001年)では郊外に住まうロウワー・ミドルクラスという観点で本作を取り上げて論じています。どこかで新訳がでないものでしょうか。

 

 

 

新訳『ボートの三人男 もちろん犬も』(ジェローム・K・ジェローム)

まさか新訳が出るとは思ってもみなかったジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』(小山太一訳、光文社、2018年)を読みました。

ヴィクトリア時代イギリスで、三人の男と一匹の犬がテムズ川をボートで上っていく珍道中を描いたユーモア小説の古典です。中公文庫丸谷才一訳を中学生のころに読んで以来、何度となく読み返して、続篇Three Men on the Bummelとセットのペンギン版まで買って読んでました。丸谷版もいいですが、新訳も雰囲気をとらえた良訳に思えました。(閘門通過の個所などは新訳のほうがわかりやすい気がします)解説ではジェロームの生涯についても詳しいです。

ところで解説でも触れられていますが、ボートの三人男と並ぶユーモア小説の古典、グロスミスのThe Diary of a Nobodyも新訳ででないものでしょうか。